INTERVIEW<2>
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川北 え?お母さんをですか?それは以前お伺いしませんでした・・・。
井上 ずっと、何のために自分がこんな経験をし、これから何のために生きていかなければならないのか・・・母が自殺し、残されたものがどれだけ辛い十字架を背負っていきていかなければならないのか自分が身をもってしっているだけに死ぬこともできず、外からみたら幸せで何不自由ない専業主婦にみえたかもしれませんが、心の中はずっと空でした。唯一私の命をこの世にひきとめた理由は主人や父姉といった私にとってかけがえのない家族の存在だけでした。
今思うと、簡単に会社を継げると考えていたあのときの自分がほんとうに甘かったと思います。父の会社が倒産するとき、結局私は何もできず、むしろ最悪な状況にしてしまい、このとき自分には経営者の器がないということも知りました。だから、あの悲惨な過去のトラウマから絶対に経営者にだけはなりたくないと思うようになりました。私みたいな器のない者が経営者になるといろんな人を不幸にしてしまうと・・・。
川北 でも、今、経営者となっておられますが・・・
井上 はい・・・。そうなんですよねぇ。なりたくてなったわけではなく、流れ的に私が経営者になることが生き残る道だと、それしかないと思い、主人にかわって経営者になったのですが、今だからいえることがあります。それは、これまで私がなんのためにあんな悲惨な経験をしたのか、なぜ母が自殺してしまったのか、ずっと答えがみつからなかったのですが、今は、すべてがこのためにあった経験だったのかと思います。
父は経営者がどうあるべきかを教えてくれた最高の父、母は命をもって私がどう生きるかを教えてくれた最高の母だと思います。経営者の器というのは、最初からあるものではなく、何もないところから壁を乗り越えていくたびに、その器が形成されていくのだと、今はそう思います。
川北 実際に「農業」の株式会社を経営してみていかがですか?
井上 『代表取締役』って、たかが肩書きなんですけど、それを背負うと全然重みが違うなって思います。プレッシャーと、意味のない焦りがずっと胸にズンとあって「社員の暮らしを守らなきゃ」とか「みんなの生活があるから絶対にお金を作らなきゃ」とか、いつも追われている感じ。
川北 そのお気持ち、よ〜く分かります。スタートも大変だったと前回お伺いしました。
井上 本当は主人の会社の会長が出資で・・・と進んでいた話だったんです。でも、その会長が亡くなられて、自分たちでスタートすることになったはいいけれど、知らない土地で右も左もわからず、誰かにすがりたいけど、どこに行って何をすれば良いかさえ全く分からない手探り状態でした。今思うと、よく農業に手を出したなって思います。ただ、知らなかったから手をだせたのかな。いよいよどうにもならなくなったとき、もうなりふりかまわず県に嘆願しに行きました。。「私はこういう者です。どうか私を農家にして下さい!」って。(笑)
川北 嘆願!?ですか、それはすごいですね。それは実りましたか?
井上 そんな簡単には実りませんでしたが、遠い道のりを経て、今こうして立っています。その道のりで出会ったいろいろな方が手を差し伸べてくれ、ここまで這い上がってきました。私は、こんな勢いしかない私のようなものに手を差し伸べてくださった方々にいつか恩返しをしたいと思っています。とはいえ、何を返していいのかはわかりませんが、きっとそれは、私がこれからやっていくことをちゃんと形にしていろんな人にとって役立つことをしていくことなんじゃないかなって思います。
川北 井上さんは今新規就農者という立場で農業をいとなんでらっしゃるとお聞きしましたが・・・
井上 はい、農業人口がどんどん減っている中、農林水産省が「農業の未来設計図」と称して打ち出している「人・農地プラン」というのがあるのですが、その政策のなかのひとつに新規就農者への支援があるんです。ですが、その支援を受けたいならばある一定の条件をクリアし、市町から新規就農者として認められなければならないんです。名張に縁もゆかりもない私にとってそのハードルがめちゃくちゃ高く、一時はもうダメだと思ったんですけどね。だけどいろいろな方が支援してくださり、動いてくださったおかげで、年齢制限ぎりぎりで認められたんです。
農業でいうところの「青年」というのは45歳までなんです。だから当時44歳と11か月だった私は、このチャンスを逃すと一生無理だったんです。だから決まったとなった時は、もうね、大勢のお偉いさん達の前で、涙と鼻水が一緒になるほどグシャグシャになって(笑)、「本当ですか? 本当ですか? 私、農家になれるんですか?」って。この話をすると今でも泣きそうになります。
川北 それはすごいですね!!!!!
井上 期限まであと1日となった日、ほぼ諦めてはいたんですが、でも、悔しくて、無理なもの以外の資料や提出物はすべて完璧に用意していたんです。そしたら夜に一本の電話がかかってきて・・・。「井上さん、今からすべての書類を持って市役所これますか?」って訊かれて、半分ふてくされ気味に、「はい、行けますけど・・・」って応えて行ったんです。そしてある部屋に行くと、大勢の農業関係者が集まっていて、「井上さん、まだ農家になりたい?」って訊かれて、「はい、もちろんっ!!でも、もう新規就農者には認められないんでしょっ」っていうと、いや、実は・・・といって事情を説明してくださいました。
それは、(これまでずっと私一人で走り回っていたと思っていたのですが)実は水面下でいろいろな方が動いて応援してくださっていて、土地を貸してくださいってお願いしたおっちゃんまでもが、市に電話して「応援したってくれ」って頼んでくださっていたことなど。いろんな方にお願いしても、けっこうあっさりあしらわれていた感があった私は、そんなことになっていたなんて知らないどころか信じられず、ほんとうに驚いたんですが、「なんて粋であったかい人たちなんだろう、名張の人は!!」ってすごく感動しました。
とってもとっても大変だったけど、だからこそ、ここまで本気になれたんだと思います。この出来事は、きっと神様が私の本気度を試したかったのかな・・・。
川北 それは、感動ですね!その本気が認められた!あとは、それに応えるのみ!ですが、収穫した野菜を売るって、一言で言いますが、全くのゼロからってすごく大変だと思うのですが...。
井上 私が一番最初にやったのが商標登録。お金もないのにあほちゃうかって自分でも思ったんですが、とにかく主婦のプライドにかけて安心でおいしくこだわった野菜をつくりたかったんです。だからちゃんとブランディングして丁寧に売りたかった。だけど、野菜激戦区の田舎では、安くて新鮮なお野菜が立ち並ぶ中、きれいに梱包された他より高めのブランド野菜なんて最初は見向きもされませんでした。
でも、絶対に妥協したくなかったから、少しでもしおれた商品は即引き上げ家のおかずになりました。もう体が緑になるんじゃないかと思ったくらい(笑)値下げとかせず、毎日たくさん余っている棚のお野菜を引き上げてまた新しいものに並べ替え、とにかく常に新鮮なお野菜を店頭に並べる。最初の半年間はなかなか売れなくて・・・一生懸命つくったお野菜を毎日回収に行くのが悲しくて・・・。
でも、ありがたいことに、一度買ったお客様が徐々にまた買ってくれるようになり、少しずつアグリーファンができてきて、今では完売する日もあるくらい「アグリーブランド」が地域に浸透してきて、ほんと信じて貫いてよかった思います。
主人がね、もともと人見知りするタイプでどっちかというと職人気質なんですが「とにかくええもんを作っとったら必ず売れる!」と言い続け農場に張り付いて頑張っていて、私は「ええもん作ってもそれを伝えられんかったら売れへんやん!」と苦しくなればなるほど夫婦仲も悪化し、一時は本気で離婚も考えるほと仲が悪くなったんですが、徐々に売れ始めると現金なもので、お互い認めだしあまり喧嘩もしなくなりました。苦しいときほど、夫婦ってみえてくるでしょ。
私は主人が間違っているとは思いませんでしたが、どっちもが両極端だったんだと思います。どっちも正しくて、だからそれがぶつかったときは最悪だけど、それが受け入れ合うと最強になる。農家になって、ほんとうにいろんな気づきと学びを繰り返していて、きっとそれが未来の財産になるんだと思います。
川北 半年ですか...それは苦しかったでしょうね。そりゃ~夫婦喧嘩もしますよね・・・。お互いが本気なんですから・・・。ファンが増えてくると、生ものだけにそれを毎日決まった量を出すというだけでも大変そうですが・・・。
井上 それは主人の努力によるものも大きいですね。例えばうちの品質を知り、訪ねてこられた同業者がけっこういらっしゃるんですが、そのとき主人は惜しげなく自分の知っている知識をアドバイスし、そのうち仲良くなって交流が始まり、互いに助け合うようになったんです。今では生産情報だけでなく、同じ品質を生産できる農家さんとは提携し合い商品の供給に関しても助け合っているんです。
川北 それはすごいですね!!!ライバルなのに、そんな風に助け合いができる関係が築けているなんて!
井上 はい。今は同業者だけでなく、異業種との輪も拡がりつつあります。最近では、大阪で素敵なカフェを十数店舗展開しているヒロコーヒーさんにお願いして小松菜パンを作ってもらってます。きっかけは、私がヒロコーヒー西宮北口店にある石窯パン工房「麦蔵」のパンが美味しく大好きなんですが、そこでうちの小松菜を使ってパンを作ってもらいたいなぁって思い、ダメもとでお願いしたところ快く引き受けてくださり・・・。
で、そこからうちの小松菜がすごく調理に使いやすく味もマイルドなので加工にも向いてるという話になり、ちゃんと商品化してくださり、今では「麦蔵」さんの店頭でちゃんとした商品として小松菜パンを売ってくださってるんです。ご縁ってほんとうにすごいです。一つのご縁が人生を変えることだってある。ほんの些細なきっかけでも丁寧にご縁を大切にしていくことの大切さを改めて感じました。