2.三重県に会社を置くということ
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仕事の舞台は東京・大阪と柔軟に
私どもの本社は松阪にありますが、看板を一切出していないので、知り合いにも「あの黒い塊は何?」と言われます。東京・大阪にも事業所はあるのですが、人が常駐しているのは松阪本社だけで、ブランドの企画やwebデザインもここで行っています。
EDUCATION事業は松阪でやっております一方、FOOD事業は東京や大阪など主に大都市圏で展開しております。LIFESTYLE事業の出店は東京のみで、EDUCATION事業の中でも『東進衛星予備校』は大阪を中心に展開しております。どこにも属さず参加せず、稼げるところで稼ぐというのが私のやり方でありまして、節操がないといえば節操がないかもしれません。とは言えグローバルなやり方が面白いと思いながら、場所にこだわらない経営をしています。
ブランドは施設に合わせて創る
FOOD事業部は、東京丸の内、銀座、青山、名古屋JRセントラルタワー、大阪駅ルクア、大阪グランフロントなどに出店し、『ベルジアンブラッスリーコート』のほか、形態はビストロ、リストランテ、バルなどさまざまです。ブランドを割と簡単に作っていくのです。簡単にというのは容易にという意味ではなく、施設に合わせ柔軟に作ろうという気持ちのこと。良い場所をいただくもので、その期待に応えたいと。女性一人が夜でも気兼ねなくアルコールを楽しむことができる場所を作っていくというのがコンセプトになっています。
高価な立地に出店する理由は、投資を大きくして見返りも大きくしたいからです。多くの人に画一的に展開されるマス・マーケティングではなく、顧客一人一人に合わせるマイクロ・マーケティングを目指し、そして人々の期待に応えるものを作ろうとして土壇場まで「ああでもない、こうでもない」とやっています。そんな苦労の末に出来上がったものを見て他の商業施設さんが声を掛けて下さるというのが実情です。
豊かな三重がやっぱり好き
東京でハイヒールをコツコツと鳴らしながら空港に向かい海外に羽ばたく夢はあったのですが、事業を始め東京でやりとりをするようになって「東京には住めない」と思い至りました。緑に囲まれた豊かな三重にいたい、と。豊かなところで暮したい一方で、マインドは東京の人と戦わないといけない。天邪鬼と言われますけど、それが松阪に本社を構えた理由です。松阪の本社に通う三重の人は、通勤時間が10分や20分、遠い人でも40分程度です。東京では片道2時間かけて通勤する話も珍しくなく、それって大変なストレスですよね。だからストレスのない中でやっていきたいと思いました。そもそも東京にという発想自体がなかったです。
三重の求人を大阪に出す理由
松阪の本社は、ほとんど女性だけで動いており、管理職の女性割合は約40%。世は男性社会と言われていますが、私どもは女性の方が多いです。社長が女性だからモデルが分かりやすいということで、だんだんそうなったのでしょう。女性従業員は、出産や育児のために仕事を辞めるということはありません。何らかの形で会社に戻ってくることが普通になっています。
求人は大阪に出しています。これは大阪の人を採用したいからではありません。キラキラと夢を持ち「将来生きる術として仕事をしたい」という三重の女性は、実は大阪や京都の所属大学先で就活することが多いからです。ですから大阪で三重県の子を採用することが多いです。
なぜ三重で直接求人を出さないかと言いますと、三重はすごく心豊かに暮らせる場所だからです。三重で暮らすとお金を使うところがないと言われており、中には買う物は肉くらいという方もおられます(米と野菜は自家栽培、家はおじいちゃん・おばあちゃんの土地など)。東京で所得1,000万円の人と三重で所得600万円の人が同じくらいの生活を送れるとも言われており、豊か過ぎるがゆえ向上心に欠けるところがあるのも正直なところ。女の人がそんなにガツガツしなくてもいい、と女性自身が思っている部分もあります。これは傾向の話で、全てに当てはまる訳ではありませんが。事実、本社事業部で頑張っている松阪出身、三重出身の女性はたくさんいます。
松阪から打って出るのは難しい?
東京に行った時に大事なのが「まず誰と会うか」。皆さんも誰かから何かを知りたいと思うことがあると思います。
例えばAさんに会いたい時、繋いでくれる知人BさんCさんがいるとします。BさんはAさんの友達、CさんとAさんは上下関係のある交流。そんな時、Cさんから紹介してもらってはいけないと思うんです。対等な関係のBさんに紹介してもらうと、次の日からは自分がBさんになれるんです。そういったことをある時期ずっと考えていました。
ターゲットを決めて東京へ行くというお話でした。
『三重テラス』の夢
皆さんもご存知のように、東京・日本橋の三重県アンテナショップ運営を受託させていただくことになりました。三重って本当に豊かで、海・山・里の産物は美味しく、人が素敵で、何を食べても太陽の恵みにより甘くて、本当に良い所です。けれど豊かなことによって三重の中で完結しちゃいがち。だから単に物産を売るというだけではなく、企業や自治体にとっての出口を含めて提案させていただきたいと思っています。施設の名前がまだ決まっていないのですが、色んな方法で呼びかけをし、ご意見をいただくためのサイトがもうすぐ完成します。
建物2階にはイベントフロアを設けることとしました。これは三重に入ってきたいという東京の人、東京で働く三重県出身の人、現在三重に住む人、全ての人が「ここは自分の場所」と感じられるような空間づくりをしたいという理由からです。ただ「三重に遊びに行きたい」という気持ちを呼び起こすのではなく、「第二の故郷だ」と感じられるような場所づくり。そこには感動がなければいけません。そこで四日市の陶芸家・内田鋼一さんや、先日は雑誌『家庭画報』で表紙を飾った菰野出身の花匠・佐々木直喜さんなど、そういうクリエイターの方達とも色んなコラボをするということで進めています。